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6月13日の風



祖父・建築家山田守のこと ①


このHPにも写真を使わせてもらっております、
日本武道館や京都タワー、御茶ノ水の聖橋などを設計した
建築家・山田守は、
私の祖父です。

祖父であることは間違いないのですが、
私が生まれるちょうど一か月前に亡くなってしまったので、
直接知ることはなかった人でした。
祖父の方も忙しい人物でしたし、
当時孫も沢山いましたから、
私が生まれることに気づいていたかどうか……。

そんな、たいして縁の深くない間柄であったことと、
京都タワーが古都の景観を損うと顰蹙を買ったので、
あまり人に話さないほうがいいかも……などと親戚に言われていたので、
祖父というのは、私の中ではずっと、触れていいのかどうか、
よくわからない存在でした。

それでも大きな作品を残した人だけあって、カリスマ的なところもあったらしく、
実際に祖父を知る人たちは、
彼の豪快なエピソードや、建築に関する苦労話を、
なぜだかいつも興奮しながら、
孫の私たちに話してくれたものでした。

しかし、月日は流れ、
あんなに熱く語っていた人たちも、
一人去り、二人去り……。
普通であれば、
そうして故人というものは、
人々の記憶から静かに忘れられていくものなのでしょうけれど……。



けれども祖父には、その独特の、
世間の顰蹙さえ買ってものともしない、
どかーーんとした存在感を放つ、
巨大建造物が遺っておりました。



私にとってはむしろ最近、
実際の祖父を知る人が去っていくほど、
その建造物の持つ、独特の迫力が、
以前より生々しく感じられるようになってきた気がするのです。



たとえば、靖国神社のみたままつりに行った帰り。
千鳥ヶ淵の木々の上に浮かび上がる、
爆風スランプに歌われさえした、大きな玉ねぎこと黄金の擬宝珠。



またたとえば、中央線で東京駅に出る時、
抹茶色の神田川をまたいでぐぁ~っと迫ってくる
石肌のなめらかな、アーチ型の聖橋。



それらの街における、威圧的なまでの存在感は、
いったい何なんだろう、といつも思うのです。



しかしその一方で、
京都タワーなどは、そんな威圧感が顰蹙を買った代表作品ですが、
「たわわちゃん」なる〝ゆるキャラ〟ができ、定着していたり、
学生さんたちが、頼まれもしないのに「京都タワー体操」なるものを考案し、
ボランティアでリノベーション促進の活動をしてくださっていたりと、
後継世代の方々に、
遊ばれるほどに愛されてもいる様子が、うかがえたりもするのです。



なんというか、祖父の建物というのは、
周囲の光景を破るような、あからさまな目立ち方をしているにもかかわらず、
なぜだか人々に憎まれず、
むしろ目立ちながらも街に溶け込み、
ありがたいことに、愛されたりしているようにも思えるのです。



そのことを思うとき、
私はふと、
毎年行われる祖父の法事の最中、
感じる風のことを思い出します。



祖父は6月13日、梅雨の真っ盛りに他界しました。
ですから法事はいつも、蒸し暑い日に行われ、
お経を聞きながらじっと正座していなければなりません。
それを子どものころからほぼ毎年、ずっと行ってきたわけなのですけれど、
大学生の時だったか、ある時、ふと気づいたのです。



外は蒸し暑いのに、祖父の建てた家の居間は、
いつもちっとも暑くなく、ひんやりした風さえ流れていたことに……。



そういえば、この家、ちっとも暑くないですね。
隣にいた叔母に、言ってみると、
叔母は言いました。



「ああ、そうねぇ、なつかしいわぁ
おじいちゃまはここに家を建てることになってから、
庭の、その高い所に立って、
春はこっちの風、夏はこっちの風……
風向計を持って、一年中風を測っていたのよね。
ずっと測り続けて、一年中、風通しの良い家にしたって
自慢していらしたわ 」




* * * * *
……たとえば、聖橋は橋の下にいろんなものが通っています。
中央線、総武線。一瞬川の上に顔を出す地下鉄丸の内線。
鉄道模型のジオラマのように、いろんなものをくぐらせていながら、
抹茶色の神田川の水面に、橋のアーチが映ると、
きれいなまん丸になるように作られています。



……またたとえば武道館は、
あのなだからに裾広がりな、青緑色の屋根は、
祖父が好きで、建築に生かしたいとスケッチを繰り返していた、
我が日本のシンボル・富士山の稜線がモチーフになっているそうです。
八角形が、法隆寺夢殿を思いおこさせることが多いようなのですが、
方角の関係で採用された形だそうで、
基本のイメージは、
千鳥ヶ淵の木々の上に浮かぶ、富士山だということです。



……たくさんの人が、興奮しながら語ってくれた祖父のエピソードは、
猪突猛進型の、駆け回っている姿が見えてくるような話ばかりでした。



私は思うに、祖父という人は、
きっと、駆け回りながら、
その建物が満たすべきたくさんの条件を満たしながら、
ピタッとおさまるたった一点を、捜し求めた人なのではないか、と思うのです。



その一点にこだわっていたがために、
全体を俯瞰してみると、
どかーーんとして
風景と調和を破る威圧感があったりしてしまうのですが、
その、建物に含まれてしまうと、
ピタッとした一点を感じることができるように、出来ているのだと思うのです。



船から見た時の姿が、一番美しいようにできているという聖橋。
最近、遊覧船もあるようなのですが、
おすすめは地下鉄丸の内線で、
神田川の上に出るとき、一瞬だけ見える
わーっと見上げるような、下からの聖橋。



武道館も、試合がすべての座席から
40メートル以内で見えるようにつくられています。



そして、6月13日にも涼しげに吹く、
今やコンクリートに囲まれた街の中の、人をほっとさせる、涼やかな風.



その、祖父が駆け回りながら見出した一点に。
わたしたち建物を使う人間が、ふっとシンクロするとき、
祖父は、
どうだ?いいだろ?このポイント。
とほくそえんでいるように思えるのです。


そんなふうにして
街で、行き交うたくさんの人たちと、
めだちながらも会話している、祖父の建造物。


会ったこともない祖父ですが、
それを感じるとき孫の私も、ふと、
祖父と出会ったような気になるのです.


そして、
きっとこれからも、
街をゆく皆さんが、
ふとした拍子に、
祖父の建物と会話して、
それをご縁に祖父の建物を
遊んで、いじって
可愛がってくださるのではないか、と思うと
初めて身内意識が沸いてきて、
少しうれしくなるのです。