50年めの大きな玉ねぎ #13-3 金沢青春編 三話 神保家と金沢

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つづく

ようやく
入ってきました!
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前列左端・山田守
後列左端・神保成吉

神保家は前田家に仕える武士で、
本家の人は

前田の最後の殿様 
慶寧(よしやす)の
お小姓
していたそうです。

小姓という
側近は

代々に渡って
忠誠を尽くした家の者しか
なれなかった
そうで、

神保家
富山の城主だった者が
上杉謙信と共に
能登に攻め入った
のを
きっかけに
前田利家の元に入ったとかなんとか・・・

かなり長年前田家に
仕えていた
ということです。

そんな旧家であったため、
明治維新後
失業して大変な目にあっても

寿の母・柳子(りゅうこ)
たびたび
おじさまの
イケメンエピソードなど、
武家時代の話を
楽しそうに聞かせてくれたということです

寿は
末娘として可愛がられ、
若い頃は
ぽーっとしていたそうですが

晩年は
気のつよい
女傑となっていきます。

建築家との苦労の多い生活を
精神的に支えたのは

意外と
この母・柳子から受け継いだ
武家の誇り・正義感
のようなもの
だったのでは?

と思われる部分もあり、

また、
山田守は金勘定には
わりに
鷹揚だったようですが

それを後ろで引き締めていたのが

そろばん侍の伝統のあった地で育った
寿の会計力でもあったようです。

さらに言えば
神保家の資産力も、

大家族で
金銭的余裕の無かった
山田守を

間接的にではありますが
助けた場面が
いくつかありました。

そんな訳で
神保家については


一見、建築には関係ないことでも
少し細かく
描いてみたいと思っています。


加賀のそろばん侍の話は

祖母がテープで
金沢は数学が優れている」と
何度か言っていて、

実際
ここに登場した兄
神保成吉
のちに
工学博士なりましたし、

前述の西田幾多郎先生も
数学の才能も非常に優れていたり
など、

何かありそうだと

加賀の数学の才能のルーツを
探ってみました。

前田利家
会計力に優れ
日本最古のそろばんの一つとされるものを
使用していて
今も保存されている

など

そのあたりから
来ているのかな?
と思いましたが

2010年に映画も公開された
武士の家計簿

を参考にし、
このように描いてみました。

武士の家計簿の猪山家
神保家とかなり
家も近かったようです。

50玉建築散歩】

神保緑地

大和紡績金沢工場跡(現・金沢市民芸術村


金沢駅を出て
線路沿いにひたすら歩いていくと

神保家金沢市に寄付した土地
今も
神保緑地という名で残っています。
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神保家の門柱
御影石を利用した
記念碑に
室生犀星の詩が刻まれています

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寿の父・八十吉の三十三回忌に
神保成吉の遺族が寄付したそうです。

元は石炭を工場に入れる
引き込み線があった場所だそうです。

実はその後
祖母の証言を元に
神保の家の跡地を訪れてみたら、
こんなものが。

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ここに門柱刺さってのかなあ?
みたいな(笑)

神保の家は
今観光地で武家屋敷と言われているあたりにありました。
また機会があったら描いてみたいです。


神保緑地のほど近く
大正時代の紡績工場跡地
市民芸術村として
リノベーションした建物がありました
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めっちゃ素敵!

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このホールの横では
ジャズバンドが練習していて・・・

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大正時代の建物で
こんな時間を過ごすことが
できるなんて、

金沢って
なんて素敵な街なんだろう!!
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金沢の豊かさを堪能できた
神保緑地へのお散歩でした。

神保緑地

金沢市民芸術村

次回は12月2日(日)
更新の予定です!