50年めの大きな玉ねぎ #13-7 来たれ!洋画の星

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金沢7−1−2
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金沢7−2−3
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金沢7−3−3


金沢7−3−4
金沢 7−4−1
金沢 7−4−2
金沢 7−4−3

金沢 7−4−4

つづく

【今回の制作あれこれ】
山田守の恋バナに
サクッと話を進めたかったのですが、
守祖父が
充実した
青春モラトリアム期を送っていた
大正3年
といえば、
開始された
①第一次世界大戦
についてと
②動きの激しかった
美術界

について
触れないわけにはいかない

かな

と思い、

この回を描いてみました。
①第一次世界大戦は
当初
海外でも日本でも、
多くの人が
一年以内に終わると
楽観的に考えていたそうです。
しかし、産業革命後の
技術革新
武器にも及び、
戦線の膠着、長期化、
死亡者の桁外れの増加
などから
世界中を震撼とさせました。
山田守の
建築世界への入り口では
第一次世界大戦が、
 
社会、経済、
人間の考え方、感じ方など
幅広い方面に
強く
影響を与えていたのです。
②美術界については、また。

今回、山田守が立ち上げた

四高洋画会
からは、
分かっているだけで他にも
二人の建築家
が生まれています。
お二人とも
山田守に感化?されて
東大建築学科に
進んだのだとか。
石川純一郎先生
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竹中工務店に入社し、活躍。
代表作
朝日ビルディング(1931・大阪)

IMG_9343

※写真は竹中工務店HPより引用させて頂きました
大内秀一郎先生
大内秀一郎 探す
分離派研究会に
遅れて参加する。
「欧州近代建築の主潮」(大正12年)などの
欧州近代建築関連の著書あり。
大阪市立電気科学館(1937)
の設計者の一人とされる。
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※写真は電気科学館のWikiより引用
ちなみにこの建物は
手塚治虫先生が
少年期
足しげく通う
お気に入りスポットだったそう。
日本初のプラネタリウムがあったとか。
実は 私の兄秀一郎
という名前で、
どうやらこの方から
とった名前らしいのですが、
その割には
この
大内秀一郎さんについては
祖母も知らず、
どんな人か全く
伝わっていないのです。
守祖父は、兄が生まれた時
男の孫が生まれ
たいそう喜び、
大変仲良くしていた
後輩?部下?の
名前を勝手につけた、
とだけ伝わっているのです。
祖父がそんなに
惚れこんだほど
好人物だったらしい
大内さん
どんな人だったか、
この漫画を描き、
調べる中で
どこかで
知ることができたらいいなぁ
と思っています…
北岩松さん家の碁会所
前回描きました
今もあるお菓子屋さんの
先代、
北岩松さん。
無くなってしまったのですが、
当時ご近所の人々が
碁会所として
出入りしていた、
北さんご自慢の
お座敷が
まだ残っているとのこと。IMG_9338
なんでも床板
50回以上かけた
拭き漆
なのだとか。
当時を偲ばせる
珍しいお部屋を
見せていただいたので
漫画にも
登場して頂きました
(^^)
【編集後記】
先日より、
何か、いつもより
アクセスが多いな?
と不思議に思っていたら
大ベテランの
素敵な建築家
秋山東一先生に
ご紹介記事を描いて頂いて
いたようです
守祖父も
美術の流れの影響の大きい
建築家だと思い
この話を描いていますので、
岡倉天心率いる
東京美術学校の
後継校
東京藝大ご出身の
秋山先生に
お言葉を頂き
励まされました
ありがとうございました
先生に言及頂いた
フランス圏のマンガ
バンド・デシネ
少しでも近づけるように
頑張ります〜
絵が下手だからキビシイが〜
そうそう
海外には
グラフィック・ノベルと呼ばれる
漫画分野もあるみたいなのを
この機会に
バンド・デシネ調べているうち
知りました
グラフィック・ノベル!
なんて
素敵な響き!
(о´∀`о)
ナンカ言ッテルゲド
言ワシトイテ
次の更新は
2月13日(水)前後を予定しており
ます