50年めの大きな玉ねぎ #11-5(少年篇) 絵画のめざめ

山田11-4先に行ってて
山田11-4ラスト山田11-10−1
山田11-10−2山田11ー11ー1−1山田11ー11ー1−2山田11ー11ー3
山田11ー11ー4山田11-11−2−1山田11-11−2−2
山田11-11−2−3
山田11-11−2−4

山田11-12−1山田11-12−2
山田11-12−3
山田11-12−4
山田11-13−1
山田11-13−2
山田11-13−3
山田11-13−4

つづく

からを為すのがワシの精神じゃ!』

この言葉は、

繰り返し

祖父・山田守が語っていたと言う

生涯の信条です

(文書には残っているのが
みあたらないのですが

祖母のテープでは
繰り返し
祖父が
そのように言いながら

建物を工夫した
エピソードが
語られていました)

(また、
今回の

漫画内では

セリフとして
『有を為す』が
わかりにくいかな?と思い

価値を生んでやる、
という表現にしてあります)

この精神は

いつどうして
培われたのか?
それが
私の、
山田守をめぐる
最大の謎で

大きな関心事でしたが、

この後、


祖母と
金沢で出会ったときには
すでに
このような感性を
持っていた
様子なので、

岐阜の生家での
生活の中で

身につけた考えだと思われ、

また、

ちょうど
兄静の騒動と
重なる時期に
心境の変化があったらしいので、

このように
描いてみました。

実は

今回の
漫画には

私が山田守を調べていって

彼の心情の
核となる部分

こうであったのではないか?

ということが
たくさん
入っている
ものになっています。

建築の歴史の中で、

表現主義
とか
機能主義とか
呼ばれる

守の特徴も

ひとりの生身の人間として

このようないきさつが
多かれ少なかれ
あったのではないか?

と思われ、

知り得た点と点を
結びつけて

ドラマ仕立てではありますが
描いてみたつもりです。
細かい解説は
長くなってしまうので

またいずれ
別の機会に
描いてみたいと思っています。

なお、
中に出てくる
守の絵

実際
守が
この絵で賞をもらったもの
使用してみました。
また、

大垣中学80年史

守の絵が
四年生の夏休みあけに


急激に上手くなって

同級生が
驚いている
感想文

みつけることができたので

そのエピソードを用いています。

エピソードの発掘には

大垣北高校の
五十川先生
大変
お世話になりました

厚く御礼申し上げます

次の更新につづきます!

岐阜篇は
あともう少しでおしまいです!)