とても
とても
残念です
・・・
13歳年上の兄
と
(漫画のネタバレになるので
詳しく書けませんが)
色々なことがあった人のため
守も
ほとんど静の話を
語り伝えておらず
そのため
なかなか
黎明期の
医学部に行くと言って
家を出ていったことが
伝わっていました)
そこで私は
色々考えたのですが、
●「母は私が殺したようなものです」
と言って涙をこぼした
という
静のエピソードが
本家の方の回想記(1)に
残っていたこと、
また
静が10才頃に起きた、
●2番目の母の命を奪った
濃尾大地震
が
日本に出来始めた
西洋建築のもろさを
露呈させ
そこから
日本独自の
耐震構造が生まれていった
という時代と
重なることから
静が建築学科に
進んだ理由を
このように
描いてみました。
(鹿鳴館の設計者で
日本人初の建築家を
大学で育てた
ジョサイア・コンドル氏も
濃尾大地震の実態を調査し(2)、
日本初のオフィスビル
三菱1号館に
耐震の工夫を取り入れたため、
建物は
関東大震災でも
無事倒壊しなかった
そうです)
このように
プライバシーポリシーにも
書いておきましたが
一部
不明な
史実などに
作者の推測による
脚色等を
加えてあります
その旨どうぞご了承ください
また、
当時の時代背景や
建築の状況が
伝わるようなものを
入れていければ
と
思っております
★★★
静兄の
もうひとつの謎
大学を
8年もかかって
卒業したのは
なぜ?
という事実に
次回は迫ってみたいと
思います !
(1)慈母回想 山田計一(私家版)
(2)日本近代建築家列伝 丸山雅子監修 鹿島出版会
耐震構造の父 内藤多仲(動画)
濃尾地震と関東大震災(論文) 武村雅之
近代日本の洋風建築 藤森照信 筑摩書房