50年めの大きな玉ねぎ イッキ読み

#1「桜吹雪と女の道 プロローグ」

#2「50年前、武道館の屋根は茶色かった! プロローグ」

#3「祖母の想い出 プロローグ」

#4「山田守は新婚初日に妻に土下座をしたのか? プロローグ」

#5「祖母の肉声 プロローグ」

#6「本篇をはじめるにあたって プロローグ」

#7「育った大地は広かった! 少年篇」

#8(少年篇) 3人の母

#9(少年篇) 原風景の街 大垣

#10(少年篇) 医者にならなかった兄

#11-1(少年篇) 絵画のめざめ

#11-2(少年篇) 絵画のめざめ

#11-3(少年篇) 絵画のめざめ 

#11-4(少年篇) 絵画のめざめ

#11-5(少年篇) 絵画のめざめ

#12-1(少年篇) 絵が役に立つ職業

#12-2 絵が役に立つ職業

#12-3 絵が役に立つ職業

#13-1 金沢青春篇 第一話

#13-2 金沢青春篇 第二話

#13-3 金沢青春編 三話 神保家と金沢

#13-4 寮のお祭りとニアミス(吉田鉄郎)

#13-5 運命の出会い

#13-6 神保家パラダイス

#13-7 来たれ!洋画の星

#13-8 新派よ壁を超えろ!

#13-9 初恋

#13-10 失恋?その後・・・の巻

「人はなぜ日本武道館をめざすのか」イッキ読み

第一話「なんでこんなおもしろい形なの?」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan01

第二話 「日本武道館と半世紀~設計者の孫の気づき」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan02

第三話「玉ねぎは『武道の心』のシンボル~あの曲線の秘密」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan03

第四話「そこに「武道の心」があるから~無敵に至る道」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan04

第五話「日本武道館の守護霊?~土地の歴史をたずねて」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan05

第六話「改修中! 増築出来!」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan06

第七話「日本武道館は大仏殿?」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan07

第八話「戦う者に音楽あり!」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan08

第九話「音楽プロデューサーに聞いた!日本武道館の魅力とは」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan09

第十話「齊藤ジョニーさんに聞いた! 日本武道館の“場”の魅力」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan10

最終話「みんなが日本武道館を目指す理由」

https://kensetsu-hr.resocia.jp/article/manga_budokan11

50年めの大きな玉ねぎ #13-10 失恋?その後・・・の巻

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向井先生の本によると
洋画会は大正5・6年であった、
との記録もあるようなのですが、

そうすると
祖母の証言や
当時の事実と
一致しない部分もあるので、

ここでは大正3年の暮の
エピソードとして
まとめて構成して

描いております。

その旨
ご了承くださいm(_ _)m

とはいえ、

家と家との合意によらずに
結婚することができなかった
当時、
山田守と寿が結ばれるのは
かなり大変だった
のは
事実であり、

ほんの少し流れが違ったら二人は結婚できず、

祖父が他の女性と
所帯を持ったら、

もしかしたら、

あのように沢山の建物を
残すことは
できなかったかもしれないなぁ

などと
と思いながら

このなれそめ話を描いてみています。

さて、建築家人生に直接関係は
なかった方ですが、

四高洋画会を応援してくれた英語の先生・
大谷正信
について少し・・・

向井先生の本に名前があり、
夏目漱石と交流あった人だったら
一応描いとくか!

くらいな感じで
取り上げておいたところ、

この方の
人となりが
ネット上にある
読者の方が見つけて
教えてくださいました。

優しそうな
イケメン紳士!

IMG_9720

島根県は松江の生まれであったことから
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に
中学で英語を学び、
偶然に東大でもハーンに学ぶことになった縁などから
小泉八雲全集の多くの
翻訳者となった方なのだとか。

イギリスに留学していたことから
夏目漱石とはとても話が合って、
親しく交友していたそう。

漱石は当時の美術界の
論客でもあったようなので、

大谷先生が
山田守らの
洋画への思いを
汲んでくださったのは
うなずける、という
繋がりです。


そこで、
再度

手持ちの四高の本を
隅々まで見返してみると、
教授陣のあだ名が紹介されて
いるところがあって、

大谷先生は
ベストドレッサー
呼ばれていたのを発見!

以前描いた所では
容貌がまったくわからなかったので
おっさんに描いていましたが
ひっそり書き直しました・・・

いや、イケメンに描きすぎると
浮くし
この頃39歳なので
なんか結局おじさんにしちゃったけど・・・

・・・・というように

この時代の
旧制中学
旧制高校
帝国大学にすすんだ人物は

日本の近代の基礎を
つくった人として
色々な記録が残っており、

あとから
ぽろぽろ情報が出てくるので、

事実を元にしたフィクションです!

キリッ

と銘打っても
油断ができず・・・

シンドイような
楽しいような・・・・
( ・∇・)汗

・・・それでも、

大谷先生の容貌を
ご覧になって、


いかに当時の旧制高校の
教授陣が
ハイソサエティ
な雰囲気をお持ち
であったか
感じていただけたら
幸いです!

ちなみに松江には
この大谷繞石(俳号)先生の
句碑
何年か前に
できたそうです。

このブログをご覧の方にも
松江の方が
いらっしゃるかもしれませんので
気が向いたら
探してみてくださいね!
(あえてリンクは貼らないどー( ͡° ͜ʖ ͡°))

☆☆

さて、金沢篇も
佳境に入ってきましたが
(あと6回の予定・・・)

実は、とあるウェブサイト様から
月一回
漫画エッセイを自由に描くように、
との
ありがたいお仕事の話
いただいております。

お題は
自由ということではありましたが

色々考え、

せっかくこれから
二度目の東京オリンピックに
向かう時期な
ので、

孫の立場から
日本武道館
振り返る話

描いてみたいと
思い、

現在調整中です!

そちらの進行具合によって
次の更新は
4月中旬ごろ・・・?

少し開く予定ですが

ツイッターや
フェイスブックで
近況をまた
お知らせいたしますので

今後とも
遊びに来てやってください!

よろしくお願いいたします
m(__)m 

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50年めの大きな玉ねぎ #13-9 初恋

金沢9初恋−1−1 350dpi

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金沢9初恋−4−4

金沢9初恋−5−1
漫画のみ読みたい方は
→金沢10話へ

今回の話は
建築要素が
無いので( ^ω^ )
解説はお休みします


と言いながら、
女学生が歌っていた歌について
ちょっとご紹介。

祖父が四高時代、
女学校の塀を乗り越えて
祖母の音楽祭を
見に来ていた、

というのは
テープが見つかる以前から
よく聞いていた
なれそめエピソードでした。

その頃
祖母がどんな歌をうたっていたのかな?

これを描くにあたり
母に聞いてみたところ、

たぶんこれでは?と教えてくれたのが
庭の千草
という曲です。

戦前の女学校では
よく歌われていた曲だそうで、

男性の人生を見送った後の
女性の理想像?

とも
とれる内容・・・・

祖父亡き後
南青山の
自宅
を守りながら

祖父の植えた
草木を見ながら

祖母が時折
この歌を口ずさんでいた

と聞くと、

南青山の山田守自宅


蔦珈琲店のある場所)
を訪れた方々には
是非
聞いてほしい曲
のようにも
思いました。

庭の千草も むしのねも
かれてさびしく なりにけり 
あゝしらぎく 嗚呼白菊 
ひとりおくれて さきにけり 

露もたわむや 菊の花 
しもにおごるや きくの花 
あゝあはれあはれ あゝ白菊 
人のみさおも かくてこそ

【以下解説】
 世界の民謡のページより抜粋。

人生の晩年、愛する人に先立たれ一人残された人物の気持ちが歌われている。

露もたわむ」・・・先立たれ一人残されて涙に暮れる様子

「しもにおごる」は古い漢文に由来する表現で、

 霜に負けずに力強く咲く菊の花の様子を表しており、
人物の気丈な様子が暗示されていると考えられる。

「あはれ」は、寂しさや悲しさを表す。
「みさお(操)」は、不変の意思・節操、伴侶への貞節などの意味。

庭に咲いた周りの草花(庭の千草)が皆枯れてしまった中、
秋冬の厳しい寒さを一人耐え忍ぶ菊の花のように、
強く生きていく。

☆☆
次の更新は
3月17日(日)頃を
予定していますが

ひとつ
ありがたい企画が
通りましたので

そちらの進行具合によって
少し
遅れるかもしれません

よろしくお願いいたします
m(__)m

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50年めの大きな玉ねぎ #13-8 新派よ壁を超えろ!

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漫画のみ読みたい方は→金沢9話 初恋へ

山田守が
日本の建築史
最初に
現れるのは、
分離派建築会
という
日本初の
近代建築運動を起こした
メンバーの一員としてです
IMG_9453

東京都市と建築の130年 より
この運動は、
建築界で
建築物は 
強い構造体であれば良い
とする流れが
強くなり始めていたところ、
いや、
建築も芸術でなければならない
表現の一つであるべきだ、
などと
うたった
活動で、
しかも
建築の模型などを
百貨店で展示し
話題を集めた活動だった
ということです。
建築史だけを読んでいると、
なぜ
そのような運動が
突然現れたのか?
唐突な感じがするのですが、
山田守をはじめ、
分離派メンバーは
絵画好きな者の集まりで、
当時の絵画の
流派のせめぎ合い
見ていれば、
その流れを
建築でも起こそう、
と考えたことは
自然な流れだったように
思えます。
また、
山田守が青春期を過ごした
大正時代前半は、
好景気の後押しもあり、
ついこの前の
江戸時代には無かった
自分という存在(自我)や
自由
西洋から学ぶだけでなく、
自分の中に落とし込んでいこう
とする気運が高まった時期で、
様々な分野で
古い考え方(旧派)
新しい考え(新派)
の対立が起きていました。
自己を
大切にするという考えは、
芸術による表現意識も
高めましたが、
人権意識の高まり
にもつながり、
大正デモクラシーの
風潮を作っていき、
国や資本家など
支配側の人間に対して
市民側が
権利を主張してゆく
大きな流れが
起こりました。
分離派建築会
分離
とは
ウィーンで起きた
ゼセッション運動から
きているようですが、
過去の
貴族的な建築物の
様式から
分離して
向かった先は
形態の芸術的自由
であるばかりではなく、
産業革命によって
大量に生まれた
都市の
市民のための建物
をつくることでも
ありました。
山田守の人生は、
高校時代から
すでにこのようであったように、
常に
何かしらの
新しい考えに挑戦し、
その度に
何かしらの
壁に
立ちはだかられていた
人生だったように思います。
その壁の向こうに、
山田守は何を見ていたのでしょうか?
自己の信じた美しさを
表現する
ことと
使う人々(市民)の
居心地に
寄り添ったもの
を目指していたのでは?
私には思えるのですが、
それは、
このような
大正時代の
青春が
守に刻みつけた
感性であったのでは?
考えながら
この稿を
描いてみています
当時の文展を巡る絵画の状況
横山大観先生は
日本画家ですが
若い頃は洋画からも影響された
アバンギャルドな人だったんですね〜
大観先生の前に
立ちはだかった無理解の壁は
ハンパない高さで、
貧しさのあまり
最初の妻子が亡くなる
経験をされたとか…
祖父も
ヒーロー視するほどでは無かったようですが、
同時代の大家として
注目していた画家の一人だったようです。
横山大観が
生涯をかけて描いた
多くの富士山の絵は
よく見ており、
日本武道館の屋根に
富士山をモチーフにしたとき
引き合いに出したりしていました。
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次の更新は
3月3日(日)前後を予定しており
ます

 

50年めの大きな玉ねぎ #13-7 来たれ!洋画の星

金沢7−1−1
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金沢7−3−3


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金沢 7−4−1
金沢 7−4−2
金沢 7−4−3

金沢 7−4−4

つづく

【今回の制作あれこれ】
山田守の恋バナに
サクッと話を進めたかったのですが、
守祖父が
充実した
青春モラトリアム期を送っていた
大正3年
といえば、
開始された
①第一次世界大戦
についてと
②動きの激しかった
美術界

について
触れないわけにはいかない

かな

と思い、

この回を描いてみました。
①第一次世界大戦は
当初
海外でも日本でも、
多くの人が
一年以内に終わると
楽観的に考えていたそうです。
しかし、産業革命後の
技術革新
武器にも及び、
戦線の膠着、長期化、
死亡者の桁外れの増加
などから
世界中を震撼とさせました。
山田守の
建築世界への入り口では
第一次世界大戦が、
 
社会、経済、
人間の考え方、感じ方など
幅広い方面に
強く
影響を与えていたのです。
②美術界については、また。

今回、山田守が立ち上げた

四高洋画会
からは、
分かっているだけで他にも
二人の建築家
が生まれています。
お二人とも
山田守に感化?されて
東大建築学科に
進んだのだとか。
石川純一郎先生
FullSizeRender
竹中工務店に入社し、活躍。
代表作
朝日ビルディング(1931・大阪)

IMG_9343

※写真は竹中工務店HPより引用させて頂きました
大内秀一郎先生
大内秀一郎 探す
分離派研究会に
遅れて参加する。
「欧州近代建築の主潮」(大正12年)などの
欧州近代建築関連の著書あり。
大阪市立電気科学館(1937)
の設計者の一人とされる。
FullSizeRender

※写真は電気科学館のWikiより引用
ちなみにこの建物は
手塚治虫先生が
少年期
足しげく通う
お気に入りスポットだったそう。
日本初のプラネタリウムがあったとか。
実は 私の兄秀一郎
という名前で、
どうやらこの方から
とった名前らしいのですが、
その割には
この
大内秀一郎さんについては
祖母も知らず、
どんな人か全く
伝わっていないのです。
守祖父は、兄が生まれた時
男の孫が生まれ
たいそう喜び、
大変仲良くしていた
後輩?部下?の
名前を勝手につけた、
とだけ伝わっているのです。
祖父がそんなに
惚れこんだほど
好人物だったらしい
大内さん
どんな人だったか、
この漫画を描き、
調べる中で
どこかで
知ることができたらいいなぁ
と思っています…
北岩松さん家の碁会所
前回描きました
今もあるお菓子屋さんの
先代、
北岩松さん。
無くなってしまったのですが、
当時ご近所の人々が
碁会所として
出入りしていた、
北さんご自慢の
お座敷が
まだ残っているとのこと。IMG_9338
なんでも床板
50回以上かけた
拭き漆
なのだとか。
当時を偲ばせる
珍しいお部屋を
見せていただいたので
漫画にも
登場して頂きました
(^^)
【編集後記】
先日より、
何か、いつもより
アクセスが多いな?
と不思議に思っていたら
大ベテランの
素敵な建築家
秋山東一先生に
ご紹介記事を描いて頂いて
いたようです
守祖父も
美術の流れの影響の大きい
建築家だと思い
この話を描いていますので、
岡倉天心率いる
東京美術学校の
後継校
東京藝大ご出身の
秋山先生に
お言葉を頂き
励まされました
ありがとうございました
先生に言及頂いた
フランス圏のマンガ
バンド・デシネ
少しでも近づけるように
頑張ります〜
絵が下手だからキビシイが〜
そうそう
海外には
グラフィック・ノベルと呼ばれる
漫画分野もあるみたいなのを
この機会に
バンド・デシネ調べているうち
知りました
グラフィック・ノベル!
なんて
素敵な響き!
(о´∀`о)
ナンカ言ッテルゲド
言ワシトイテ
次の更新は
2月13日(水)前後を予定しており
ます

 

50年めの大きな玉ねぎ #13-6 神保家パラダイス

山田金沢6さむね

山田金沢6−1ー1

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山田金沢6−2−4−2
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山田金沢6−4−2
山田金沢6−4−3
山田金沢6−4-4

山田金沢6−5−1
山田金沢6−5−2
山田金沢6−5−3

山田金沢6−5−4
つづく



山田守の
金沢の旧制高校時代は
建築家になる前・・・
どころか

建築家を正式に?志す
以前の話
なので、

なかなかまどこっろしい部分
が多く、申し訳ありません

ですが、
山田守が大学卒業時に
書いた
分離派宣言の
文章を読むと、

建築の実務に入る以前から

すでに建築に対する
おおよその考え・完成が
できあがっていたよう
なので、

なぜその考えに至ったか?
を導き出すためもあり
このあたりも
ひとつひとつ描いてみています

(建築ファンの方
おつきあいいただきありがとうございます)

今回描きたかったこと

❶山田守の新しモノ好き・・・ローラースケートのエピソード

Y子の父母の仲人までしてくださった
新田さんによると
山田守といえば金沢にローラースケートを持ち込んで
流行らせた
ほど
新しいモノ好きだったということ・・・

そのローラースケートって
どっから来たの

と長年疑問に思っていたのですが、
今回調べてみると、

何と例の
守が大好きだったという
漫画13−1 金沢青春篇 第一話
雑誌『白樺』3号(明治45年)に、

同人の里見さんという人が
ロダン展の手伝いには来ないのに
浅草のルナパークのローラースケートには
早起きして出かけてる!

文句を言われている(笑)
記事が載っていたようです

守はそれを読んで
面白そうだと思っていたところ、
この漫画の前年の
大正2年に子供たちの間で流行したそうで、
手に入れやすくなったものを
いち早く取り寄せ、
得意満面で
金沢で披露したのではないでしょうか?

(あくまで想像ですが。)

岐阜の地主の息子である
守が

日本の近代建築のパイオニア
となったのも、

この新しいカッコ良さそうなものに
敏感な性格のため
だったのでは?
というところに
つながるかと思い、

こんな風に
描いてみました。

(このルナパークっていうのも
調べるほどにツボにはまり、
またどこかで描いてみたいです)

❷友情出演の 北岩松(きた いわまつ)さんについて

例の祖母のテープの中で、
祖母が神保家のあった場所を
くわしく語っていた
ので

跡地をたずねてみると
一軒の和菓子さんが。

おそるおそる神保家について
何か知らないか、と
聞いてみると、

なんとそのお店は
神保八十吉から土地を買い、
現在まで営業されている
とのことで

神保家がいかに栄えていたか
などを
私と同年代の
ひ孫にあたる方々も
伝え聞いて
知っていらしたのです!
IMG_0966

和菓子屋さんの先代は
北岩松さんという
織物工場で一時代を築いた
資本家で

神保八十吉とも親友で
ご近所の強烈資本家旦那衆として
闊歩する姿が
有名だったそうな。

・・・・曽祖父の話が
いまだに伝えられていたことに

金沢という場所の変わらない時間、
伝統を継承するお土地柄を
思い知った
瞬間でした!

山田守は
四高洋画会を立ち上げるべく
奔走中ですが、

この活動は
のちに
分離派建築会を起こす
前哨戦?的
なものに
なったのではないかと
私には思われます。

分離派建築会も
色々な支援が
差し伸べられていたようですが

金沢でも
商工会議所などの支援があったとのことで

それらの人脈は
この理解あふれる大店・
神保商店にて
培われたとしても
不思議ではない
と思い、

今回はこんなような
わやわやした
人物群の話を描いてみました。
(読みにくかったら
ごめんなさい!)

→菓子匠 虎彦さんのリンクはこちら
お菓子もとても美味しいので
金沢武家屋敷あたりにお越しの際には
立ち寄られては
いかがでしょうか

❸警察署の建物も格好よかった件

建築マンガと銘打ってるのに
建築の話が全然出て来ないので

最後のコマに
大正元年にできていた
木造洋風の警察署

描いてみました

四高からも程近い場所にあったので
まだ建築に目覚めていない
守祖父も
必ず目にしていたはず。

西洋風の建物が
移植されていた時期のため
警察署がかわいい!
のが
個人的にはツボでした(´∀`*)

警察の建物にも
東大建築学科卒の建築技師は
何名も
関わっていたようで

岐阜編でお騒がせしていた
山田静兄の
仲良し3人組の
渡辺節さんではない方の方・・・
竹内六蔵さん
IMG_5144

築地警察署の技師として
働いていたようです。→節先生のこと
竹内六蔵さんはのちに鹿島建設の副社長になられ、
窮地にあった山田を
救ってくれることになります)

まとまらずすみません
ご意見ご感想などいただけたら
今後に活かせるかと思います

今年もよろしくお願いいたします

次の更新は
1月27日(日)前後を予定しております

 

50年めの大きな玉ねぎ #13-5 運命の出会い


金沢5−1−1
金沢5−1−2
金沢5−1−3
金沢5−1−4
金沢5−2−1
金沢5−2−2
金沢5−2−3金沢5−2−4金沢5−3−1金沢5−3−2
金沢5−3−3

金沢5−3−4
金沢5−4−1
金沢5−4−2
金沢5−4−3
金沢5−4ー4
金沢5−5−1
金沢5−5−2
金沢5−5−3
金沢5−5−4
つづく

曲『戦友』youtube→

旧制高校は
学校によっては
全員寮に入る学校も
あったようですが、

四高は
地元の生徒は
自宅から通っていた
ようです。

神保家は
学校からも近く、
裕福な商家で余裕もあり、

自宅生・寮生の両方が集う
学生の憩いの場
となっていたようです

旧家に入婿を迎えていた
母・柳子は
家父長制で女性の
発言力が制限されていた
時代においても、
文化に対する意識の高さと
社交性のある女性で、
神保家のカラーを
文化的なものに
していてくれていた 
ようなのでした。
そこで山田守は
何を見、
何を吸収していったのでしょうか?

そのようなことを
祖母のテープ
向井覺先生の本
伝え聞いた話
当時の時代背景

などから
考え、

このように描いて
みています

2018年12月10日

NHKBS−1にて
京都タワーをつくった男
山田守
という番組を放映していただきました!

IMG_8125

批判や誤解の多かった
京都タワーという建物を
真っ向から
建築家の思いを通して
見直していただけた番組となっていて
感激いたしました

番組スタッフ皆様、
ご覧いただいた皆様

そして
いつも山田守研究で
お世話になっております

大宮司勝弘先生はじめ、
取材をお受けくださった方々
厚く御礼申し上げます

これから年末のドタバタに突入・・・
作画・更新作業が
できにくいので、

神保家の大合唱と
ともに

年内の更新は
今回が
最終とさせていただきます
2019年
年明け更新は
1月13日(日)頃を予定しております

本年
拙作を
ご愛読いただき
ありがとうございました

😊

来年は

難しいシーンが
多くなるので
不安もいっぱいですが、

取材を重ねて
少しでも
いいものをお届けできるよう
精進いたします!

来年も
50年めの大きな玉ねぎ

どうぞよろしくお願いいたします!

Y子不思議な子正方形180180

2018.12.16

YY

 

50年めの大きな玉ねぎ #13-4 寮のお祭りとニアミス(吉田鉄郎)

山田 金沢 4−1−1
山田 金沢 4−1−2

山田 金沢 4−1−3
山田 金沢 4−1−4

山田 金沢 4−2−1−1
⇨雑誌『白樺』が生んだ西洋美術ファンの話はここをクリック

山田 金沢 4−2−1−2
山田 金沢 4−2−3
山田 金沢 4−2−3−1
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山田 金沢 4−2−4−2

山田 金沢 4−3−1
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山田 金沢 4−4−1

山田 金沢 4−4−2
山田 金沢 4−4−3
山田 金沢 4−4−4

金沢4−5−1
金沢4−5−2

金沢4−5−3

つづく

漫画のみ読みたい方続きはこちらクリック→金沢5話 運命の出会い

吉田鉄郎
『建築家吉田鉄郎とその周辺』(相模書房)より
吉田鉄郎
(四高在学当時は五島姓)

東京駅前
吉田氏の代表作
東京中央郵便局
モダニズム建築の傑作と讃えられ
再開発計画中
故 鳩山邦夫
(貴重な文化遺産を解体するのは)
『トキを焼き鳥にするようなもの』
と発言するなど
論争を呼び、

現在のような
外観保存に落ち着いた
という
記憶もそろそろ懐かしいです。
(JPタワーが竣工して早6年・・・)

そんな吉田鉄郎さんと山田守は
通信の急激な発展
にともなって
日本中
郵便局やら電信局が
必要だった時代
に、

逓信省の建築技師として
建築の発展に貢献した
として
二人一緒に
よく語られます

吉田鉄郎先生と
山田守は
こんな感じの関係。

山田と吉田表

まさに性格も作風も
真逆のようでしたが
かえってそのバランスが
良かったのでしょうか。

山田守の建物は
初見から印象が強いところがありますが、

吉田氏の建築は静かで、
見れば見るほど美しいのが特徴・・・

私も
調べるほどに好きになり、
京都に残っているという
吉田先生の建物を
早く見に行ってみたいです・・・


さて、そんな吉田さんと守は
高校時代にニアミスしていた
ようで、

吉田氏が描いた
この女神様のハガキを、
守は
そうとは知らず、
『絵が上手い人がいるなぁ』と驚き
ずっと持っていた
ということです。

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逓信省時代に吉田さんに見せたら
持って行かれてしまったそうな・・・

寮のお祭りの飾り付け、
というのが
よくわからないかもしれませんが、

IMG_8026

(写真集『旧制四高校青春譜』能登印刷より引用)

こんな感じに
寮の部屋を
ひたすら紙に何か描くなどして
飾り、
賞を競っていたようです

IMG_8024

この日ばかりは女性も
高校に入れたそう。
四高生は街のアイドル的存在でもあり
ワクワクした1日だったでしょうね( ・∇・)


新田さんという人も
実在の人物で、
守の一生の親友になりました。
色々な場面で守はこの方にも
助けられていますが
Y子の父母の仲人までやってくださった
親切ぶり・・・・

★ご好評いただいております
『50玉建築散歩』は
記事が長くなるので
別ブログにしようと準備中です!

【告知1】
12月4日(火)と、日にちが迫っておりますが
このような催しがあるそうです。

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よくお名前お見かけする観音克平 様
資料でお世話になっているNTTファシリティーズの皆様
山田守研究で鉄板の大宮司勝弘 先生
分離派研究の第一人者 菊地潤 様・・・などなど
一度はお話を伺ってみたかった方々が沢山!

それから、身内ではありますが
山田守の
無くなってしまった建物の一切を
コツコツと撮り続けている

写真家の弟・新治郎も登壇するようです!

弟もお陰様で忙しくしており
なかなかまとまって話を聞く時間がとれないので
どんな話が語られるか
身内ながら楽しみにしています(╹◡╹)


【告知2】
来週の更新は
本編はお休みにして、何か
について書こうかな?と思います

というのも
12月10日(月)
NHK BSにての番組
放送される予定
だそうです
(山田関係者も沢山協力しています)

また詳細こちらにアップします!

50年めの大きな玉ねぎ #13-3 金沢青春編 三話 神保家と金沢

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金沢3-1−2
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金沢3-3−3
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金沢3-5−1

金沢3-5−2
金沢3-5−3

金沢3-5−4

金沢3−6−1

金沢3−6−2

つづく

ようやく
入ってきました!
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前列左端・山田守
後列左端・神保成吉

神保家は前田家に仕える武士で、
本家の人は

前田の最後の殿様 
慶寧(よしやす)の
お小姓
していたそうです。

小姓という
側近は

代々に渡って
忠誠を尽くした家の者しか
なれなかった
そうで、

神保家
富山の城主だった者が
上杉謙信と共に
能登に攻め入った
のを
きっかけに
前田利家の元に入ったとかなんとか・・・

かなり長年前田家に
仕えていた
ということです。

そんな旧家であったため、
明治維新後
失業して大変な目にあっても

寿の母・柳子(りゅうこ)
たびたび
おじさまの
イケメンエピソードなど、
武家時代の話を
楽しそうに聞かせてくれたということです

寿は
末娘として可愛がられ、
若い頃は
ぽーっとしていたそうですが

晩年は
気のつよい
女傑となっていきます。

建築家との苦労の多い生活を
精神的に支えたのは

意外と
この母・柳子から受け継いだ
武家の誇り・正義感
のようなもの
だったのでは?

と思われる部分もあり、

また、
山田守は金勘定には
わりに
鷹揚だったようですが

それを後ろで引き締めていたのが

そろばん侍の伝統のあった地で育った
寿の会計力でもあったようです。

さらに言えば
神保家の資産力も、

大家族で
金銭的余裕の無かった
山田守を

間接的にではありますが
助けた場面が
いくつかありました。

そんな訳で
神保家については


一見、建築には関係ないことでも
少し細かく
描いてみたいと思っています。


加賀のそろばん侍の話は

祖母がテープで
金沢は数学が優れている」と
何度か言っていて、

実際
ここに登場した兄
神保成吉
のちに
工学博士なりましたし、

前述の西田幾多郎先生も
数学の才能も非常に優れていたり
など、

何かありそうだと

加賀の数学の才能のルーツを
探ってみました。

前田利家
会計力に優れ
日本最古のそろばんの一つとされるものを
使用していて
今も保存されている

など

そのあたりから
来ているのかな?
と思いましたが

2010年に映画も公開された
武士の家計簿

を参考にし、
このように描いてみました。

武士の家計簿の猪山家
神保家とかなり
家も近かったようです。

50玉建築散歩】

神保緑地

大和紡績金沢工場跡(現・金沢市民芸術村


金沢駅を出て
線路沿いにひたすら歩いていくと

神保家金沢市に寄付した土地
今も
神保緑地という名で残っています。
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神保家の門柱
御影石を利用した
記念碑に
室生犀星の詩が刻まれています

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寿の父・八十吉の三十三回忌に
神保成吉の遺族が寄付したそうです。

元は石炭を工場に入れる
引き込み線があった場所だそうです。

実はその後
祖母の証言を元に
神保の家の跡地を訪れてみたら、
こんなものが。

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ここに門柱刺さってのかなあ?
みたいな(笑)

神保の家は
今観光地で武家屋敷と言われているあたりにありました。
また機会があったら描いてみたいです。


神保緑地のほど近く
大正時代の紡績工場跡地
市民芸術村として
リノベーションした建物がありました
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めっちゃ素敵!

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このホールの横では
ジャズバンドが練習していて・・・

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大正時代の建物で
こんな時間を過ごすことが
できるなんて、

金沢って
なんて素敵な街なんだろう!!
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金沢の豊かさを堪能できた
神保緑地へのお散歩でした。

神保緑地

金沢市民芸術村

次回は12月2日(日)
更新の予定です!